"BLACK SIGN × MORNINGSTAR クロスロード展" Episode 4/8 (前編)
いつも"BLACK SIGN Main Lodge"をご愛顧いただき誠にありがとうございます。
Main Lodgeにて行ったクロスロード展で作品を提供いただいた、
MORNINGSTAR山田氏「孤高の哲学者」による身の生き様を綴った物語を全8回に渡りご紹介させていただきます。
魂の籠った長文になりますが、是非ご一読ください。
Episode 4/8
核
(前編)
見上げれば、星がある。
星は何故、美しいのだろう。
ただ内なる「核」が熱く光る。
その軌道に、一切の「作為」が無いからだ。
あの時、内に見た一閃のように。
火も、水も、大地も、大気も。
緑も人も、石ころも星も。
万物は、同じ「原子」の子。
その全てが隔たりなく、縦に横に無尽に連なる因果の歯車を担い、密接に連動し、循環している。
それが、森羅万象のフラクタル。
見える物が見えなくなり、見えないものが見えてくる。
それは、現象という純然たる物語。
それが、この完全なる「世界」の理。
世界は完全なのに、
何故「自分」は不完全なのだろう。
もしかすると、そこに「作為」が在るからではないか。
だとしたら、その作為を手放した時、どうなるのだろう。
その時、「自分」という枠は外れ、
剥き出しの「魂」と「世界」は融和し、
人は「星」になるのではないか。
燦然と輝く「星」の如く。
もしかすると、そんなところに、
この完全なる世界と、不完全なる自分の、
天と地の見えざる接合点が、「在る」のではないか。
そんな境地から眺望する景色には、
西や東、右や左、横軸の地平からは永遠に見えることのない、
太平の世という万世普遍の願いも、
遥か彼方に「見えてくる」のではないか。
社会とは人、人とは魂。
万物の根源が「内」に在るなら、
その活路は、個々の内を照らす温かい光、
魂の奧に問う「美」ではないか。
肉体、環境、誰もが違う。
それでも唯一、誰もが等しく持っている「魂」。
それ一つで、世界はどうとでも在れるのかと、刮目するような物語ではないか。
此処に丁度いい野辺の石ころが一つ、転がっている。
知も能も財も、何も持たざる有象無象の石ころが、もし作為すら手放し、丸腰で命を転がしたなら。
その先に、どんな物語が紡がれるのか。
見てみたくないか。
やらせ無用、監督は天。
欺瞞の一切が介在しないその物語は、
希望的観測ではなく、純然たる因果の観測記。
もし、そんな作りものではない、
純潔のロマンがあったなら。
見てみたい。
その時、内に光が差し、勇気も、希望も、力も、全てがそこから湧き上がるのではないか。
自分が変われば、世界が変わると。
刮目した心眼は、
形だけ繕った作りものを離れ、
内なる美を伴ったものへと、
求めるものは自然と移ろう。
美しい物が、美しい者を育み、
美しい道から、また美しいものが生まれる。
滞っていた富は、美しいものに解け、
徐々にその本質を取り戻し、
世界を美しく染めながら再分配は拡がり、
循環し、円環の美をもたらす。
美が変わる時、時代も変わる。
そんな円環が、「愛」であり、「和」ではないか。
そんな自浄作用が、内なる底力が、
美には、愛には、和には、
人には「在る」ことを、信じたい。
いつだったか、
陽の光を初めて虫眼鏡で照射した時、いつも何気なく浴びていたそれは、黒い紙に煙を上げながら一点に貫き、小さな風穴を開けた。
いずれ消える一瞬の命。
石ころの微々たるそれも、その全てを一点に捧げたなら。
それは矢の如く、内なる混沌の天幕を貫き、風穴を開けるのではないか。
そこから漏れる一筋の光。
明けの明星。
それは、後も生まれ続ける同じ石ころ達が、
彷徨うことのない命の道標。
星に迷わず、闇に呑まれず、
内なるロマンに気高く「在れ」と。
あらゆる物はいずれ消える。
しかし、物語は消えない。
一瞬の命を、永遠の光に変える。
久遠の未来にまで燦然と輝く、星の物語に。
それが、我が生涯を換えるに値する、唯一の墓標。
明星と輝くか、流星と散るか。
本物であれば天が選ぶ。
「星」とは、そう言う者だと。
それが、見える者にだけ見える星、
MORNINGSTARの「核」。